赤紙を配った自治体職員へのインタビュー ~戦争の片棒をかつがされた~
戦中、自治体職員はどんな思いで戦争遂行事務を担ったのでしょう。東京都品川区の前身の荏原(えばら)区の戸籍課兵事係で召集令状(赤紙)を配った大胡亥之助(だいごいのすけ)さんへのインタビューを紹介します。
昭和16年1月、縁あって荏原区に就職し、戸籍兵事課に勤務しました。昭和47年3月に退職したのですが、そのうち20年間は戸籍の仕事でした。
戦争の拡大とともに戸籍課兵事係が戸籍兵事課に、そして敗戦間際には軍事兵事課に名称が変わりました。
兵事課の仕事とは
仕事は、軍の命令で赤紙、召集令状を配達すること。毎日2~3件、それは決まって夜中にね。当日は夕方近くに待機命令が出ましたね。
なぜ夜中に?
一つは内密にさせたいということで、世間の動揺がありましたからね。もう一つは、夜中であれば家族全員が必ずいて、留守ということがないということではないですかね。
渡す時の状況は
恐怖ですよ、恐怖。家の人は「お国のため」「天皇のため」と歓迎するどころか、妻と子どもがいる家の大黒柱を死に行かせるわけですから、「ついに来たか」と顔面蒼白。なかなか印鑑を押してもらえないでね。
「区役所から令状を持ってきました」と声をかけるんですが、あまり余計なことをいわずに心掛け、極めて事務的に対応しました。「またか、気の毒に」と思いつつ・・・。
全く薄情で、つらい仕事でしたよ。品川の部隊は上海、南京、広州で多く戦死してるから。私ら戦争の片棒をかつがされたんですよ。
現役世代に一言
一つは、二度と戦争の匂いをかがせるようなことはしないためにガンバレということかな。
そして戦争は、そこに至るまでの積み重ねがあるわけだから、その課程をしっかり見抜くことが重要だといっておきたいですね。
(※本記事は、都職労品川支部(現品川区職労)機関誌『さけび』1989年2月20日号より構成しました)
『自治労連ちば』531号(2015年9月14日発行)より